三囲の鳥居の裾に隠れなし
仇名浮名を流す道行
前句付けですかね。相変わらず自意識過剰です。
酒上不埒の旦那は、こういう御時世ですから少しは剣術もどきもした方が良かろうということで、ところがもとが素質が有るかたですから、立ち所に秘剣鸚鵡返とかいうやつを編み出し、ヤンヤの喝采を受けて、白河道場の師範代に随分ネチコク嫌味を言われたようで、不貞腐れて寝ちまって今日は出席出来ないと奥様から連絡がありました。
千早チャンは何でも江戸城で珍しい虫が見付かったとかで、赭鞭会の楽善堂先生(筑前福岡藩主黒田備前守斉清)や楽圃先生(旗本飯室庄左衛門昌栩)のお伴をして虫の鑑定に来ないかと大奥から誘いがありまして、乗り物も手配されていて、千早チャン大喜びで出掛けました。千早チャンの狂歌です。
後光サス御城ノ虫ノ御召シナレ
未ダ明ケヤラデ見ユル家並
そういう訳で残念ながら欠席です。千早チャンは何時まで経っても平仮名憶えないで真名と片仮名で歌作ってますね。
皆さんもうお聞きだと思いますが、本会は Internet 上に移動して来ましたので、会員以外の方にもオープンになりました。今後は言文一致体で載せますから皆さん歴史的かな遣いで喋らないで下さい。「拙者現代かな遣ひなと嫌いて御在候ああいふものは品か御在候らはす」などというのは読んでる読者が何のことだかサッパリ分かりませんから止めて下さい。じゃ、始めましょう。
(98/02/02)
戯作者や二つ二つの場合にや
かかる命や何と見付けん
それにしても千早チャンが来てないのは残念だ。
(98/02/05)
目出度さも中位なり花魁が居ず ←う〜ん、苦しいな〜 (^_^;)
(98/02/09)
みつきンとも名こそ惜しみし鉢形に
霜月に咲くハナミズキとは
(98/02/15)
逆くらげ男二人で見る月の
何を思うか雲に隠れて
(98/02/20)
(98/02/22)
一家に遊女もねたり、でも男の方が良い
って。(違うかな?)
ところで会員名簿のところに伊惣郎さんが「ポルポト最後の秘密」とかいう本を出してると書いてあったんで、本屋で探してみたんだが、ないね。出版元に問い合わせないとないのかい?
(98/02/23)
(98/02/25)
柳川の熱きどぜうに触れもせで
寂しからずや水を飲む君
(98/03/02)
インターネット迷子。
言葉は正しく使いましょうね。
(98/03/07)
(98/03/16)
サラエボの人はコーヒーが好きである。そしてコーヒーと言えばこれは何はさておき昔ながらのトルコ・コーヒーである。ほとんど慢性コーヒー中毒じゃないかと思うほど四六時中トルコ・コーヒーを飲んでいる。最近はサラエボでもコーヒーといってもカプチーノやらエスプレッソやらあれこれトルコ・コーヒー以外のコーヒーも飲まれるようになったがさすがにインスタント・コーヒーまでは進出して来ていない。もっとも他の東欧諸国の中にはインスタント・コーヒーが西側生まれだというだけで「高級品」扱いしてしまって、そこらのカフェで仰々しい容れ物に入れられて出てきて、なまじな本物のコーヒーより高い、などという由々しき事態も生じているようである。
フィルターやサイホンを使ってコーヒーと煮出し汁を分離してしまう今の日本の遣り方とは違ってトルコ・コーヒーの場合ダシ殻もダシ汁も両方ともカップに注がれてしまって、しばらく待ってダシ殻が下に沈んだ頃を見計らって上澄み液だけ飲むわけであるからダシ殻を完全に排除するということは不可能で、どうしても少しはダシ殻も啜り込んでしまうことになる。それでダシ殻が舌に触れてもさほど不快にならないようにコーヒー豆を非常に細かく挽いてしまう技術が必要になる。トルコ・コーヒーといってもこれはこれで土地土地によって入れ方に違いがあるようなのであるが、当地で聞いた話では先ずコーヒー豆を普通に煎る。次に豆を挽いて、…ここまでは日本で普通にコーヒーをいれる時と同じである。挽いた豆をもう一回煎る。そしてこれをもう一度挽く。つまり二度煎り二度挽きをするのである。こうすることによってコーヒーが非常に細かい粉になる。
この非常に細かいコーヒーを長い柄のついた特製のポット(ジェズバ)に入れて煮出すのであるが、この際あらかじめ砂糖を入れておく遣り方もあれば煮終わってカップ(フィルジャンと言って取っ手がついていない)に移してから砂糖を入れる遣り方もある。かなり高級と考えられる飲み方に砂糖の代わりに蜂蜜を使うのもある。サラエボっ子の好む飲み方として、砂糖は一切入れず、角砂糖をコーヒー・カップの脇に置いて齧りながらコーヒーを飲む遣り方もある。ただしこれはエチケット違反というわけではないのだが少々上品さに欠ける飲み方だと看做されているようだ。コーヒーを煮出した時の上澄み液の上の泡についても、これをわざわざスプーンですくって不公平のないように全員のカップに配る人もいれば、泡が出来るだけカップに入らないようにスプーンで押しやっておいてコーヒーを注ぐ人もいるし、各人各様というか家ごとにあれこれうるさいこだわりがあるらしく、昔は女の子が一人前にコーヒーをいれることが出来るようになったら「これでもう嫁に行くことが出来る」と言っていたのだそうだ。
このトルコ・コーヒーもバルカンの沈滞は五百年のトルコ支配のせいだとセルビア・コーヒーだのクロアチア・コーヒーだの名前を変えてしまう動きがあるようだが、さすがにボスニア人の間にはボスニア・コーヒーと呼び換える人は多くはない。(だがたまにいる。)このコーヒー、トルコではトルコ・コーヒーと呼ばれ、ヨーロッパでも日本でもトルコ・コーヒーと呼ばれているが、トルコ・コーヒーを始終飲んでいるアラブでもギリシャでもキプロスでもそれぞれアラブ・コーヒーだのギリシャ・コーヒーだのキプロス・コーヒーだの呼ばれている。名前だけ変えても中身は大同小異なのである。アラブ人についてはトルコ人より先にコーヒーを飲んでいたわけであるからアラブ・コーヒーと呼んでも問題はないと思うが、クロアチア・コーヒーだのセルビア・コーヒーだのといった呼び方はどうであろうか?トルコ的なものを嫌って、ヨーロッパ的なものに憧れて、そういうことになるんだと思うが、そもそも名前だけ変えて事実を糊塗しようという考え方自体が実際に中東に住んでいた経験のある私に言わせればかなり中東的なんである。
さて、トルコ・コーヒーというのは飲み終わってからカップの底に溜まっているコーヒー滓でもう一度楽しむことが出来る。二度出ししようなどというシミッタレた話ではない。カップをヒョイと引っ繰り返してコーヒー皿の上に伏せてしまい、しばらく待つと滓が乾いて焦茶色の模様になる。この模様を見て占いが出来るのである。インスタント・コーヒーなどでは模様がクッキリ出ないから、ここはやはりトルコ・コーヒーでなければならない。占いの仕方もコーヒー・カップを十二等分してそれぞれを黄道十二宮に見立てる遣り方とか、残ったコーヒーが垂れてコーヒー皿の方についた模様(丸いコーヒー・カップの縁に沿った部分には自然に三日月形の模様が出来るから月の出具合で占うのである)を見るとか、流派によって遣り方は色々あるようだ。しかしこの占い、敢えて難点を挙げるとすればコーヒー滓は所詮コーヒー滓、飲む度にコーヒー滓の模様が大胆に異なってしまう点にある。手相や人相、星座ならそう滅多に変わるものではない。時々超新星が現れたりすることもあるが、概ね同じと考えて良い。従って占いの結果もそう極端に変わったりはしないのである。ところがコーヒー占いの方は極端から極端へ平気で変わる。一杯のコーヒーを飲んでる間にその人の運勢が大凶から大吉へ、もしくはその逆の方向へ変わってしまうことも不思議ではない。何しろ相手はタカがコーヒーである。占いが気に入らなければ好みの結果が出るまで二杯でも三杯でも飲み直しをすればそれで済むことだ…と考えていた。
ある時私は通訳をしてくれてる太っちょ氏の家に招かれて、彼の奥さんの手料理を御馳走になった。食後は当然トルコ・コーヒーが出る。(より正確に言うと彼と待ち合わせたカフェで飲み、彼の家に着いたところで一杯御馳走になり、食前に数杯重ねて、食後にもコーヒーが出たのである。)ここでコーヒー占いの話が出た。彼の奥さんはコーヒー占いが得意なのだそうだ。私の相棒のフランス人が面白がって早速占って貰った。特に良いというほど良い運勢ではないがそこそこの卦が出ている。私は占いなど興味がないから無視していたが、相棒が面白がって勝手に私のカップを引っ繰り返してしまった。ところがその時点で私のカップの底のコーヒー滓は既に乾いて固まってしまっていて、これでは模様が拡がらないからそもそも占いにならない。ハッハッハッ、ざまあみろ、というところだが、それならもう一杯飲めと言う。俺はコーヒーなんぞに自分の運勢決められて堪るかと思っているから乗り気ではなかったが、それでももう一杯飲んで今度は自分でコーヒー・カップ引っ繰り返して通訳の奥さんに占って貰った。
これがかなり悪かった。日本のお神籖にたとえたら大凶といったところか。眉ひそめて深刻な顔をして、悪運が見えると言って悲嘆にくれている。占っているのは彼女だが占われているのは私である。運勢の悪い当の本人の私が平気な顔しているのに、占ってる方が歎き悲しんでいてもしょうがないじゃーないか。相手はタカがコーヒーである。それもコーヒー滓の方である。そんなもんに運勢決められて堪るか。私はそう思っているからコーヒーもう一杯飲んで運勢変えてコーヒー占いするつもりでカップを引っ繰り返したら、それは駄目だと言われた。
奥さんの言うところによるとコーヒー占いは一日一回だけ、それも正式には朝起きて神様に向かって祈りを捧げ、敬虔な気持ちで最初の一杯を飲んで、そのコーヒー・カップで今日一日の運勢を占うのでなければならないというのだ。だがそれが正しければ私は朝起きてから既に何杯もコーヒーは飲んでしまったわけだから、大凶という卦そのものが正しくないと言えないだろうか。どうせ始めから正式な遣り方で占いをしていないのだから、今さらコーヒー占いは一日一回だけなどと堅苦しいことを言うのは理解出来ない。彼女は一日に二度も三度もコーヒー占いとするとコーヒーの神様のバチが当たると言うが、これも不可解なものの言い方である。彼女はたしかイスラム教徒だったはずで、私が理解するところによるとイスラム教徒は唯一絶対の神アッラーにのみ帰依していて、コーヒーの神様などという摩訶不可思議なものが出てくる余地はないはずだ。
結局彼女は少しムッとして「絶対碌なことがないから」と言いながら二度目のコーヒー占いをしてくれた。これがチットモ良くない。三度四度とコーヒー占いを繰り返したが大凶やら小凶やら大大凶やら、要するに凶の卦ばかりで何時まで経っても吉の卦が出ないのだ。彼女が意地悪してわざと凶と占ってるんじゃないかと邪推してみたが、そうではないと言ってあれこれ説明しながら占ってくれた。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。相手はタカがコーヒーである。結局こちとらの腹の皮が破れる前に見事大吉の卦を出してみせた。どんなもんだ。
ホテルに帰って寝る前にと思ってバーを覗いてみると、知り合いが何人か酒を飲んでいた。しばらく話に付き合うつもりで、しかし酒は飲む気がしないからオレンジ・ジュースやコーヒーを飲んで、午前一時位までそこにいただろうか、部屋へ戻ってベットへ潜り込んで、で、何となく目が冴えている。そうは言っても明朝は仕事だからと思っている内に夜が明けて来た。何のことはない、枕担いで横に立ってただけのことである。眠くない訳ではないのだけれど結局眠れなかった。良く事態が飲み込めぬまま、それでも夜が明けてしまった以上しかたがない。今さら寝付いても十分寝ている時間がない。ラジオを点けてBBCの朝のニュースを聞くことにした。大したことは遣っていない。朝御飯を食べるにはまだ早い時間だし、何となく食欲がない。それでバーへ行ってトルコ・コーヒーを頼んで、ちゃんとコーヒーの神様にお祈りをしてから昨日習った通りにコーヒー占いをしてみた。良く分からないがどうやら大吉である。二杯も三杯も飲む必要はない、最初の一回でちゃんと大吉になる。こんなもん占ってる方が大吉と決めたら大吉なんだ。ガッハッハッ、コーヒー占い恐るに足らず。
少々暇潰しをしてみたがそれでもまだ朝御飯を食べるには早過ぎる気がしたので一旦部屋へ戻った。そして本でも読もうと思っているうちに何やら気分が悪くなって来た。少うし吐き気もする。うろうろとベットに歩み戻り、パタンと倒れ込んでから、ようやく事の成り行きを冷静に掌握することが出来た。要するに昨日の夜コーヒーの飲み過ぎで、それで目が冴えて寝付かれず、寝不足ゆえに気分がすぐれず、おまけに早朝胃袋が空っぽのところへ、さらにコーヒーを流し込んだものだから、神経が昂るやら消化器管がデングリカエルやら、これは困ったことになった。しばらくじっとして横になっていれば良いだろうと思っていたら、ちっとも良くならない。気分の悪いのが酷くなって冷や汗も出て来る。チラと新聞の三面記事のことが頭に浮かんだ。よく日本で四月五月位に「大学新入生急性アルコール中毒で死亡」などと、まだ酒の飲み方も知らない子供などがイッキ飲みの挙句に命を落とす話などが出るが、「良い歳をした社会人、サラエボでの選挙監理の仕事の途中コーヒーの飲み過ぎで死亡」などというのはシャレにならねー。だが毒物は毒物、カフェインだって立派に薬理作用はあるのである。吐き気も段々強くなって来て、とうとう洗面器に吐いてしまった。胃袋に入っていたのはカップ一杯分のコーヒーだけである。これがほぼ全部出た。コーヒーは胃の中で胃液もしくは胃の粘膜と混ざり合ったと思われ、それで出て来た時はコーヒーゼリー状をしていた。コーヒー色を少し茶色っぽくした、ウニュウニュの液体である。臭いはコーヒーの臭いに胃液の臭いを混ぜた臭いをしている。味は…さすがに調べてみる気がしなかった。しばらくウツロにコーヒー反吐を眺めていてフトこれでコーヒー占いが出来るんだろうか疑問に思った。そんな占いするまでもなく今日の運勢は見えている。少なくも健康運は最悪である。
卜(僕)の胃(意)をひっくり返してカフェインや
垂る(足る)に過ぎたか今日(凶)の運勢
前振りが長くなり過ぎました。m(_ _)m ごめんちゃい。
(98/03/23)
(98/04/06)
こんなモンですか?英語はいたって無調法ですので伊惣郎さんに全面的にお願いしちゃいます。
(98/04/20)
(98/04/27)
(98/05/04)
それから、ここは狂歌以外に、狂句でも、駄酒落でも、小噺・庇理屈、何でもありです。
(98/05/18)
しきたえの大和心は山桜
朝日ににほふ雌シベ雄シベぞ
どうです下ネタこそ敷島の大和心ですぞ。
(98/05/18)
\(^_^)/
ワーイ!ワーイ!
なんちゃって。でも下方赤向って狂名ちょっと恥ずかしいですね。何か良いのないですか。
(98/05/25)
(98/05/29)
(98/06/01)
(98/06/08)
歌よみは下手こそ良けれ…
と言うでしょ。
(98/06/13)
(98/06/18)
歌よみは下手こそ良けれ天地の
動き出してはたまるものかは
とあるんですね。(誰の狂歌なのかは自分でお勉強しましょうね。)これはもちろん「和歌は力をも入れずに天地を動かし、鬼神をも和らげ…」という和歌論(誰の庇理屈なのかはこれも自分でお勉強しましょうね。和歌をバカにして狂歌をやろうとしたら和歌をちゃんと理解してないといけません。)を逆手にとって、歌が上手くて、文字通り天地が動き出したら困るじゃないか、という庇理屈なんです。で、下手な方が良いと。
(98/06/22)
とりあえず下ネタですが(下品過ぎるかな?どう思います?)
撫でられてまた撫でられて撫でられて
尻の赤きにさる痴漢かな
別に自信作とかじゃないんですが、とりあえず作ったということで、批評とかしてもらえるとありがたいんですが。
(98/06/29)